「二十億光年の孤独」や「鉄腕アトム」主題歌など親しみやすい詩を世に送り出した
詩人の谷川俊太郎さんが92歳で亡くなりました。
谷川俊太郎さんの死因や谷川俊太郎さんの人生を調べてみました!
谷川俊太郎さんの死因
葬儀は近親者で既におえられているようです。
日本の男性の平均寿命は81.09歳なので、大往生といえますね!
谷川俊太郎さんの死生観
自分が死んで死体になったらそれはもう自分ではない、という感覚が僕にはありますね。
死体は有機物だから、日本人の伝統的な感覚では、「土に還る」というのかな。脱ぎ捨てた洋服、抜け殻みたいなものという感じですね。
ただ、死んだ後には、魂のような何かが残ると思っています。
引用 朝日新聞GLOBE
デビュー70周年を迎えた際のインタビューで、当時91歳の詩人の谷川俊太郎さんは生前このように語っていたようです。
詩人らしく、死の世界観の表現の仕方が素敵です
谷川俊太郎さんの軌跡
親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセーで知られ、戦後日本を代表する詩人として海外でも評価された谷川俊太郎さん。
その作品の軌跡を調べて見ました。
1950年に哲学者である父、谷川徹三さんの知人の紹介によって「文学界」に「ネロ他五編」が掲載されました。
1952年には初の詩集「二十億光年の孤独」と刊行します。その後詩作と平行して歌の作詞や脚本・エッセイの執筆、評論活動をおこないました。
1962年には「月火水木金土日のうた」で第四回日本レコドード対象作詞賞を受賞し、輝かしい経歴の幕開けを飾っています。
1964年からは映画製作東京オリンピックの脚本家として参加し、
1965年には絵本の世界に進出しています。
1973年の「股旅」は特に評価が高く、
世から溢れでた、三人の渡世人の話。後世でやくざと呼ばれる人達。不器用でカッコ悪くて、其の場凌ぎで生きゆく、流浪の旅人。とても人間らしい。
など、沢山の高評価の声がありました。
1978年の「火の鳥」は手塚治虫氏による原作に忠実で脚本が評価されました。
詩人としての本領を発揮した作品!とも評価されていましたよ
2007年までに出版した詩集・詩選集は80冊以上に及びます。
晩年は子どもが読んで楽しめるようなもの(『わらべうた』『ことばあそびうた』など)から、
実験的なもの(『定義』『コカコーラ・レッスン』など)まで幅広い作風で作品を世に送り出しました。
海外での詩祭への参加、朗読会をはじめ、中国で文学賞も受けた実績もあります。
まとめ
日本の文学界を始め、各界で引っ張ってくれていた方がお亡くなりになるのは悲しいことですが、
谷川さんの作品は子供から大人まで、日本から世界へと今後も引き継がれていくことだと思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。